今年は日本とトルコの交流のきっかけとなったエルツールル号事件がおきてから120年にあたります。これを記念してトルコでは、
年初からさまざまな行事が行われているそうです。
私は,日本がトルコのことを報じる時、エルツールル号の乗員を日本人が救助したことは報じても、イラン・イラク戦争のとき、現地に取り残された邦人の救援飛行をfirst
narional flagのJAL(いまや潰れてしまった。)が拒否し、自衛隊も法律上の問題で救援に向かえず、トルコ空軍が救出してくれた事を報じない場合が多いことに苛立ちを覚えてしまいます。(このことはもう忘れ去られているのではないだろうか?私もこの旅行に参加してガイドさんの説明を聞いてやっと思い出したのです。)
日露戦争に勝利し(有色人種国として初めて白人国との戦争に勝った。)アジア、アフリカ諸国の人々(欧米列強の植民地にされ、土地も資源も収奪され劣等感と貧困に苛まされていた。)に大きな希望を与えた日本がいまや勇気も義も失い、忘恩の徒と化してしまったことをはずかしく思います。
トルコ人の親日ぶりはいまでも衰えていなくて、日本男子は皆、サムライ、大和なでしこは皆おしんだと思われているらしいのですが・・・・・
ムスタファ・ケマル・アタチュルクについて
近代トルコを理解するためにかかせない人物のことも日本ではほとんど知られていない。
しかしムスタファ・ケマル・アタチュルクのことを知らないで現代のトルコを語ることはできない。(注2)
オスマン・トルコの最後の皇帝は、暗愚で、敗戦に際して自家の存続とひきかえにトルコを滅亡の淵においやり、最後にはトランク一杯の宝石をもって亡命した。彼は、オスマントルコの富の源泉であるボスポラス〜ダーダネル海峡及びイスタンブールを含む豊かで広大な地域を列強に割譲し、不毛の山岳地帯である東半分のみをトルコ領土とする条約を皇帝は受諾した。アタチュルクは不屈の精神と天才的な戦略でこれを取り戻す。(この戦争の敵方の実行部隊を買って出たギリシアは大敗し、撤退の途次無用で無慈悲な焦土作戦を展開したためトルコ人の心に深い傷を与えてしまう。・・)
ケマル・アタチュルクは最初、非常に有能な軍人として頭角を現したが、救国の父としての圧倒的な人気と国民の支持を得てトルコ共和国の擁立に成功した。
彼は非常に明晰な頭脳をもち、冷徹で豪胆な人であった。近代化の過程で欠くことのできない政教分離lを実現し、回教と分かちがたく結びついていた難解なアラビア文字(識字率の低さの原因ともなっていた。)を排除し、トルコ語のアルファベット表記を推し進め、識字率を向上させた。(彼自身がたった一人でこの表記方法を創造・完成し(わずか三日の推敲で!!!)、普及のために自身も教壇に立った。)農業振興のための品種改良、小規模軽工業からの無理のない工業化、婦人参政権の授与などを短期間に実現した。
これだけの改革というか革命をただ一人の人物で短期間にやりとげた例を見出すのは非常に困難なことだ。(有り余る資源を持ちながらいまだに近代化をなしとげられない国は枚挙にいとまがないのだから。)
(彼は彼同様有能な軍人であり、政治家であったシーザーと違い暗殺もされていない。国父=アタチュルクという姓をささげられたくらいだから国民から尊敬され愛された人でもある。ラクというアルコール度の高いお酒を痛飲し粗衣粗食であったため身体をこわしトルコにとって早すぎる死をむかえたといわれている。)
彼と日本の関係
茶道に千利休の高弟が始めた宗偏流という一派がある。(著者は20代の半ばに、この派の家元(鎌倉)の下に通ったことがある。)この宗偏流の家元に養子として迎えられた山田寅次郎という人物がいる。寅次郎はエルツールル号事件の後で、遭難者の家族に全国から集めた義捐金を届けにトルコに渡り、交易をしながらオスマントルコ時代の士官学校で教鞭をとりつつ、黒海を行き来するロシア艦隊の情報を日本に送っていたそうだ。(日露戦争の日本海海戦にこれが非常に役立ったという。)
アタチュルクがトルコ共和国の大統領になったとき、表敬訪問した山田寅次郎は執務室に飾られた明治天皇の肖像に驚かされたというが、アタチュルクは士官学校時代に山田寅次郎の授業を聞いていかにして日本が列強の侵略に抗し近代化に成功したかを知り、明治天皇を尊敬していたと言う。
第二次大戦後自国の自衛権を奪われて、営々と働いて築いた国富も為替の変動相場制によってなくし、内需拡大の名のもとに過剰な財政支出を強制され、いまや破産寸前の日本でも尊敬してくれる国などそうはない。日本はもっとトルコを大切にしないといけないのではないだろうか。
現在ボスポラス海峡の地下には日本の企業によって鉄道用のトンネルが貫通し、アジア側トルコヨーロッパ側トルコが船と橋以外に鉄道で結ばれる日も間近い。両国がともに手を携えて発展し、世界の平和に貢献できる日が来る事をひたすら祈って筆をおきます。。
参考文献
「アタチュルク あるいは灰色の狼」 三浦伸昭 著 文芸社
私は、アタチュルク関係の本を数冊読みましたが、そのなかで一番面白くて読みやすかったのは上記の本です。著者は公認会計士業のかたわら趣味として偉人伝をかいておられます。
完
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